檀上花子さん

 

私は19歳〜26歳の期間をこの劇団で過ごさせて頂きました。

よくよく考えると、私の人生の中でも私の道を決めてくれた7年間でもあります。

この7年がなかったら、私は今また別の人生を選んでいたかもしれません。

少し大げさにも感じると思いますが、私にとってここで学んでいた7年間は、

私の芸術人生の中で大きな宝となっています。

この劇団に入りとてもシンプルな”人”、”自分自身”を表現すると言う事を学んだ気がします。

言葉のない体の世界は、正直で嘘がつけません。

すべてが”自分”であること。言葉を発する前に語られる”その人”。

それは多くの”沈黙”の中に存在し、日々の生活でも言葉にできない”沈黙”が、

言葉よりも表現してくれる事が多々あります。

そしてその中で生まれてくる”言葉”、、、

今思えば、本当に多くの事を学びました。

公演に向けてテクニックも学びますが、それ以上に仲間と語り合い、高めあい、

人間関係も学んでいきます。自分と向き合い、人と向き合い、、、自分で自分を高めていく事、

自分の中にしか答えがない事。。。

ここで学んだ事は、今実際にフランスの色々なお仕事をさせてもらっていると、

世界共通の舞台で大事なベースである事が解ります。

そしてここから、いずれは自分の道を見つけて別れていくのです。

マイム、クラウン、役者、ダンサー、舞踏、サーカス、などなど、、、

私は現在、舞台の役者が専門となっていますが、他にもサーカス演劇、マリオネット、

ダンス、などにも参加させてもらっています。

これからもここのベースを大事に、更に自分の世界を広げていこうと思っています。

この劇団で私を支えてくれていた先生方、劇団の方々、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

ありがとうございました。
(檀上花子さんのホームページはこちらから)

松元ヒロ さん

 

私はあらい汎さんと出会って(基礎は日本マイム研究所で学びました)、プロの「芸人」になることができました。うわべの動作やジェスチャーとパントマイムの違いを学ぶことができました。

「言葉がない」のがマイムではないことを学びました。溢れんばかりの言葉が体の中に満ち満ちて、もはや言葉にならなくなってきて、軽々しく言葉に出来なくなる肉体が思わず動き出しはじめる・・・。そんな瞬間を経験出来た時の喜びは正に「言葉にならない」くらいの感動でした。

あらいさんの下で芸人になった私はその後、気付きました「喋った方が早い!」(すみません、これは『ギャグ』です。あらいさんお許しを!)そして、コントに転身し、時事風刺のグループに参加したあと、再びソロになり、現在はスタンダップコミックをやっております。また、原点に帰ったのです。「しゃべくり」も「マイム」も本人がどれだけ言いたいことがあるのか!どれだけの思いを持っているのか!それが原点だと思います。

若い時に汎マイム工房で学び、悩み、芸を追及する中で身に付けた「言語」は、その後に出会ったホンモノの「演劇人」「文化人」「芸人」・・の方々と腹を割って話せる『共通言語』でした。これだけは(って他にはないのか!)特にあらいさんに大感謝です!だから、汎マイムで学べば何も怖いものはないのです。

「卒業生の声」を書きながら、私は今、気づきました。卒業前とほとんど変わっていないことに。「工房」の「在工生」のみなさん!こんな卒業生もいると思ったら、気が楽になったでしょう?

幾つになっても、売れても売れなくても、有名でも無名でも、ステージは楽しいですよ!!          (スタンダップコメディアン・松元ヒロ)←松元ヒロさん公認サイトはこちらから

神 雅喜さん

私と汎マイム工房

 

当時のスタジオは東池袋にある古びた雑居ビルの中にあった。細長い階段を上っての四階である。エレベーターはない。階下はとある不動産会社が陣取っていて、新入社員が社訓らしきものを唱和したり、上司のしわがれた怒鳴り声が聞こえたりで、何やら怪しげな雰囲気を醸し出していた。もっとも彼らからしてみれば、階上の住人の方がよっぽど怪しげに見えたに違いないが・・・。

四階の鉄の扉を開けると狭い廊下が続く。机一つだけの質素な事務所。カーテンひとつで仕切られた荷物置場のようなスペース。そこで着替えを済ませてスタジオに入る。当時はちょっとしたパントマイムブームでスタジオ生の数も多く、そこで着替えるのも至難の業であった。

スタジオに入りまずやることは床の雑巾がけである。何故?という思いもあったが、どうやらそこには、“神聖なる稽古場”を清める(多少大げさかも)という意味合いもあったようだ。実際、見学等でスタジオに入る時も、稽古着に着替えないと中には入れてもらえなかった。

スタジオの床は平台を並べただけの簡素なもので、かなり老朽化していた。雑巾がけの後には浮き出た釘を打ち込む作業が欠かせない。レッスン中にもさっき打ち込んだ釘がすぐに頭を出し、レッスンは途中で中断する。その都度“なぐり”(金槌)で釘を打ち込む。これの繰り返しであった。それも今では懐かしい思い出である。

 

この稽古場では実に色々なことを教わった。パントマイムの基礎から舞台人としての存在意義まで、その範囲は多岐にわたる。もともと役者を志していた私にとって、師匠あらい汎師の演技論はかなりの衝撃であり、「役者の個性的な肉体こそが重要」とする唐十郎の肉体的特権論にも匹敵するものがあった。理論としては、訓練された普遍的な肉体を否定する唐のそれとは真逆になるのかもしれないが、沈黙する肉体の存在が、雄弁な役者の存在を超えて、観ている者の想像力を掻き立てる(実際にそう語ったかどうかは定かでないが)という師の理論は、肉体表現の本質であり、基本である。当時あれこれ分析していたわけではないが、役者には出来ない表現を求めて日々稽古に励んだ大切な時間であった。

 

東池袋のスタジオで六年程過ごしてから、氷川台にある現在のスタジオに移った。スタジオ移転の知らせを受けたのは、ちょうどイタリア公演から帰国した日の成田空港であった。寝耳に水とはこの事で、同行していた黙々団のメンバー(私と藍義啓、そして故・古川朔。汎マイム工房内で結成された男性3人によるパフォーマンスユニット。いずれ機会があればこのグループのことも記してみたい)共々訳が分からず、そのまま新しいスタジオに直行することになった。

何はともあれ、期待と戸惑いの中、新たな創造の場が与えられ、新天地での再スタートとなった。しかし、時というのは悪戯なもので、丁度自身の来し方・行く末を考えていたのと重なった為か、何故か新しいスタジオに馴染めず、一年程して汎マイム工房を去ることになった。三十を過ぎて師匠に守られているより、自身の可能性を試そうと自力歩行を決意しての退団であった。初めて汎マイム工房の門を叩いてから七年目の事である。

あれから二十余年が過ぎ、現在私は、パントマイムを隅に置き、マジシャンとして活動している。だが、師匠あらい汎の教えは私の表現の背骨であり、軸であり、たゆまなく流れる川のように私の中を静かに流れている。この場をおかりして師匠にお礼を言いたい。「あらいさん、あなたからは実に多くの事を学びました。そして多くの仲間と出会う事が出来ました。どうか生涯現役を貫き、益々尖がった爺さんでいて下さい。私も後に続きます。ありがとうございました。」   

神 雅喜←神雅喜さんのHPはこちらから

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